2018/01/23

そうめんの歴史

麺が誕生したのは、およそ1700年ほど前の中国・魏の時代といわれています。
そこからどうやってそうめんが誕生したのかをまとめてみました。

そうめんの元祖は索餅(さくべい)

奈良時代

そうめんの元祖は「索餅(さくべい)」と言われていて、奈良時代に誕生しました。

コメの端境期を乗り越える夏の保存食であり、季節商品として唐代の中国から日本に伝わった唐菓子の食品のことです。
実態は諸説あるようですが、小麦粉と米粉を水で練り、塩を加え縄状にした食品で、その後乾燥させて保存し、茹でて醤・未醤・酢付けて食べたとみられています。

いよいよ現在のそうめんへ

鎌倉時代

鎌倉時代になって禅宗が伝来した時、そうめんも転機を迎えました。
一つは中国の影響で油をつけて延ばすことを知ったこと。
挽き臼が入ってきたことで製粉技術が進み、細く長くすることが出来るようになったこと。
そして最後にこの物品名が素麺(スーミェヌ:素は精進物の意)という中国語の影響を受けて日本でもこの字を使い、これが訛って「ソーメン」と呼ばれるようになりました。
いわば今日の素麺の誕生です。

室町時代

この頃から「索餅(索麺)」にかわって書物に「素麺」の文字が使われるようになりました。
初めは、南北朝時代(1,300年代)の「異制定訓往来(いせいていきんおうらい)」からです。

この時期そうめんは、寺院の間食(点心)として広がりました。
この時代に現在のそうめんの形、作り方、料理方法がほとんど形成されたと考えられています。

文献にもよく登場するようになりますが、主な舞台は寺院や宮中の宴会などで、まだ庶民が気軽に食べられるものではなかったようです。

そうめんが民衆に広がる

1750年頃の江戸時代からそうめん作りが盛んになってきたため、素麺は広く庶民の口に入るようになりました。
また、お伊勢参りによって宿場町として栄えた“三輪”で食べた三輪素麺の声価が諸国へ宣伝され、素麺の製造技術を習い、全国に素麺作りが広まっていったと言われています。

江戸時代の文化年間に揖保郡神岡村の森村忠右衛門が阪神地域から素麺製造の新しい技術を持ち帰ってきました。
そして、江戸時代には「そうめんといえば播州、播州といえばそうめん」と言われるようになりました。
また、それ以前の戦国時代に、豊臣秀吉が姫路城に入ったときに播州名産の煮麺の饗応を受けたと伝えられています。
このころからそうめんが庶民の口に入るようにもなりました。

まとめ

こうやって歴史を紐解いてみると、そうめんの形や食べ方は、歴史とともに変容しているのがよくわかります。
また、別でまとめますが、7月7日はそうめんの日と言われていて、これは平安時代の書物(延喜式)に七夕にそうめんを食べると大病にかからないと書かれ、宮中から一般に普及したと伝えられています。
現在の日本でそうめんを食べる際には特に意識しませんが、暑い日に食べて精を出す、という意味において、誰をおもてなす料理としての性質は昔から変わりませんね。


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